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February 24 航空会社安全度ランキング世界の主な航空会社284社の安全度ランキングがニューズウィーク(2月8日号)で発表されている。普段飛行機を利用することが多い人にとっては気になるランキング。トップ10を見てみると・・・
私もよく利用するLufthansaがトップなのはうれしいし、おおむね欧州勢ががんばっているようだ。Qantasは映画「レインマン」で、ダスティン・ホフマン扮する自閉症の男が、死亡事故がないQantas航空以外は飛行機には乗らないとごねてトム・クルーズを困らせるシーンで有名に。ちょっと意外だったのは3位のBA。故障とかトラブルが多いような気がしていたのだが、このランキングよく見ると会社の規模や社歴が長いこと、なども評価の一つになっているため、大きくて歴史の長い会社が上位に来やすい。歴史が長いほうが事故や非常時への対策の経験も豊かということらしい。なお、日本の航空会社は、
12. ANA 50. ANK 62. JAL
となっている。規模の大きさではBAにひけをとらないJALだが、機体年齢が高いことなどで全体評価は低い。ちなみに一つ上の61位はマルモ航空(スウェーデン)、63位はスロヴェニアのアドリア航空。うーむと考えてしまう順位である。
では、ワースト5を見てみよう。
279 TAAGアンゴラ航空 280 タジキスタン航空 281 ミアット・モンゴル航空 282 ミャンマー航空 283 ヘリオス航空 (キプロス) 284 アリアナ・アフガニスタン航空
ということで、 まあ分かるような気がする。特にヘリオス航空は、昨年夏の謎の墜落事故で一躍有名になった。
今日の英語 Flying Dutchman = さまよえるオランダ人。元々は戯曲やオペラに登場する、海で遭難したオランダ人船長の幽霊(もしくは幽霊船そのもの)のことだが、後にオランダの名サッカー選手、ヨハン・クライフのあだ名となり、さらにKLMオランダ航空の愛称にもなる。航空会社の愛称としては不吉な気がするが、しゃれが効いてて個人的には好き。 February 14 カーテンを閉じないスウェーデン今日はスウェーデンのマルモという町に来ている。ここはストックホルムからは600km南、海峡をはさんでデンマークのコペンハーゲンと隣り合っている。ロンドンからコペンハーゲンに飛び、そこから車で、数年前に開通した海峡にかかる大橋を渡って国境を越え(パスポートチェックも何もないが)、20分ほどでマルモ市内である。気温は氷点下数度といったところで、雪もほとんどなく比較的マイルド。
二年前のやはりこの時期にストックホルムに滞在したときは氷点下20度という寒さ。雪が薄く地表を覆い、港は完全に凍っていた。昼間は天気がよかったもののダイヤモンドダストが舞いきらめく天気。それ以来スウェーデンは私にとって「白い国」という印象がある。
二年ぶりに訪れたスウェーデンとデンマークは、文化的にはドイツの影響が濃い。建物の様式、町並みは北ドイツにそっくりだし、ジャガイモにソーセージというスウェーデン料理もドイツ風。単語もドイツ語とそっくりな単語が多い(空港だとデンマーク語、ドイツ語、英語の順で、Udgang = Ausgang = Exit, Ankomst = Ankommen = Arrivalなど)。昨年はノルウェーのオスロに何度かとフィンランドのヘルシンキに一週間ほど滞在したが、これらの国のほうが独自色が強く、ドイツの影響はやや薄かったように思う。
ただ、一方でスウェーデンはアメリカ商業資本がドイツよりも浸透しているようにもみえる。セブン・イレブンもあるし、ファーストフードレストランも多く、ショッピングセンターの雰囲気もアメリカ風だ。全体として、物質的豊かさと合理性、機能的で優れた工業デザインが融合した国という印象。
あと、家々を見ていて感じたのが、カーテンを閉じていない(カーテンがない)家が妙に多いこと。どこもやわらかな間接照明で照らされた部屋の中が外からよく見える。たとえ閉めていても薄いレースのカーテン程度で、分厚いカーテンで部屋を完全に隠している家はほとんどない。昔ドイツに住んでいるときに、ドイツ人は薄いカーテンを閉じるがオランダ人はカーテンをかける習慣がないと聞いたことを思い出した。スウェーデン人もそうなのだろうか。 January 17 空港でヘルプを求められる昨夜ドイツからロンドンに戻る。British Airways 945便は着陸待ちでロンドン中心部上空で旋回を繰り返し、機上から美しいロンドンの夜景を真下に望むことができた。光の海の中をうねる黒い蛇のように見えるテムズ川とそこにかかるタワーブリッジ。ロンドン塔は黒とオレンジのあばたの様。すぐ隣にはミレニアムブリッジとセントポール大聖堂。左手にはパーラメントとその対岸にロンドンアイがライトアップされている。ビッグベンの少し北にはピカデリーサーカスのネオンがひときわ華やかに輝く。ハイドパークは漆黒の闇だ。
着陸後はお決まりのパスポートコントロール。最近、ヒースロー空港は英国長期滞在ビザ保有者専用レーンを設け、観光客の長蛇の列に並ばずに済むようになったのだが、なぜか今日はぜんぜん列が進まない。見ると前で車椅子に乗ったおばあちゃんがもめている。係官が滞在する住所を質問しているのだが、中国人とおぼしきかなり高齢のおばあちゃんはまったく英語が分からないようだ。しばし押し問答が続いた後、双方あきらめムードになったのだが、気がつくとおばあちゃんが私の顔を「じいっ」と見ている。目が合うと私に何か中国語でしゃべる。理解不能。どうも私に助けを求めているらしい。係官も私に向かって、ちょっと助けてくれないかと言う。中国人かと聞くと香港人だとのこと。どちらでも同じ。中国語は分からない。仕方ないので漢字で「宿泊所」「住所」と紙に書いてみせると意味は通じたようだ。ところがおばあちゃんは首を振って何か訴える。どうも外に人が迎えに来ていて、自分は滞在住所は知らないということのようだったので、そう係官に伝えると、広東語のできる通訳を探してくるという話になり、とりあえず私のお役目終了。
先日の東京出張時の短い滞在の間にも、スペイン人に公衆電話のかけ方を訊かれ、韓国人には幕張メッセへの道案内を頼まれた。その前のチューリヒでは白人の少年に駅の場所を訊かれたし、私はどうも助けを求めやすい容貌をしているのかもしれない。
今日のイギリス英語 queue = 列のこと。キューと発音。米語ではlineにあたるが、イギリスでは Are you queueing here? などと動詞としても使われる頻出単語。 December 30 パリの夜景折悪しく、ヨーロッパに寒波が押し寄せ、イギリス南部でこの冬初めての雪が降り積もる中、ユーロスターでパリへ。直前ぎりぎりまで予定が決まらず、ラストミニットディールでインターネット予約したが、シャンゼリゼ通り、凱旋門のすぐ近くの四つ星ホテルのトリプルルーム+家族4人のユーロスターの往復チケット込みで500ポンド(10万円)。
この時期にパリに来るのは初めて。昼でも氷点下と、やや寒すぎたが、それでもシャンゼリゼ通り、ギャラリエ・ラファイエットのクリスマスイルミネーションは噂以上の美しさ。寒空の下夜景も楽しむことができた。NYやプラハ、ブダペストなどもすばらしいが、やはりパリの夜景の華やかさとバリエーションは格別だと思う。
最後の夜には、この時期のフランスの名物、生牡蠣も堪能することができた。クロワッサンにショコラ、クレープもお隣イギリスやドイツでは味わうことができないフランスならではのおいしさ。やはり食はイタリアかフランスだなと改めて思う。
写真はギャラリエ・ラファイエットの店内にそびえる巨大ツリー(店内とは思えない豪華な内装)、建物の外観を飾る華やかなイルミネーション、エッフェル塔(東京タワーのように赤い点滅灯がないのがよい)、そしてシャンゼリゼ大通りと凱旋門。
December 25 常夏の地で迎えたクリスマスの思い出今年も家族だけの静かなクリスマスイヴを迎えた。ロンドンは天気も良く、かなり暖かいクリスマスイヴだ。ここ5年は海外にいるので、毎年冬休みは家族で小旅行をする。その中でも印象に残っているのは、4年前のアメリカ在住時に行ったメキシコのカンクンだ。コバルトブルーの海と白い砂浜は、私の知る中では最も美しい。近くには密林の中にピラミッドや巨石神殿が残るマヤの遺跡、チチェンイツアがあり、ただ海だけの単調なリゾートではないところもよかった。クリスマスに海で泳ぐというのは後にも先にもあれ一度だけだが、目を閉じれば、美しい海と遺跡は今もまぶたの裏に鮮やかに浮かび上がってくる。
December 13 時差ぼけ(眠れない)火曜日の朝のフライトでロンドンに戻る。
東京は見事な快晴。美しい冬の朝。
しかし、昨夜は時差ぼけのため、まったく一睡もできず、夜を明かす羽目になった。
昨日から丸24時間以上眠っていないことになる。前夜7時間も眠れたのに、である。
そのまま、12時間のフライト、途中3時間ほど仮眠しただろうか。疲れ切って夕方の帰宅。
December 11 Framed Sky今回の東京出張で泊まったホテルにはビルの屋上に露天風呂があるとのこと。
こんな機会もなかなかないと思い、バスタオルを手に最上階に向かった。
そこで見たのは、ビルの谷間に四角く切り取られた空。
たまたま一緒に入っていた外国人と空を見上げながら、"Framed sky (額縁に入った空)"だね。
と笑った。
こんな空、東京でしか見られない。
November 16 暖房修理完了自宅の暖房の修理は無事完了、完全復活したようだ。ただ、自動温度設定のセンサーも壊れていたようで、こちらは大家の許可後、別途修理ということになるようだが。とりあえず一安心。皆様、ご心配いただき、ありがとうございました。
今日は東京から甲府に。天気もよく、途中美しい山並みを見ることができたが、この山のある風景というのは、イギリスではほとんど見ることができない。大阪と京都で育った私としては、視界のどこかに常に山があったわけで、だから私の中では緑豊かな山が見えると日本に戻ってきたという感慨が沸くのである。
甲府でミーティングとプレゼンを終え、夜の宴席を終えて再び東京へ。ところで、帰りの電車では偶然、数学者で大道芸人のハンガリー系ユダヤ人、ピーター・フランクルさんが隣に乗り合わせた。 November 15 日本、ちょっとした変化月曜夕方成田に到着し、その足で翌朝ミーティングのある長野に直行。2年半ぶりに日本の地を踏んだが、若干の戸惑いはあったものの、意外と感動やショックのようなものはなく、あっさり受け入れている自分がいた。初めて海外に出た数年前、1年半近く日本を離れてから一時帰国したときはもっと感激があった。しかし、それ以来1年おきくらいに一時帰国を繰り返し、もう逆カルチャーショックに慣れたのだと思う。
ただ、それでもこの2年半のブランクが感じさせる新鮮さもあった。
~駅や電車からゴミ箱が消えた。
これはテロ対策だと思われるが、一方ロンドンではいまでも駅や電車の中にゴミ箱はある。これはサリン事件の経験からなのか。であれば、もっと以前から姿を消していてもよいはず。なぜ今なのだろう。それにしても、ゴミ箱がないにもかかわらず清潔な車内や駅構内は外国人にとっては奇跡に思えるだろう。イギリスなら食べものの残り紙などはそこらへんに捨ておくだけだ。
~国際的なニュース、番組が増えた
相変わらずTVはどこも同じようなニュースを流し、同じようなバラエティ番組をやっていて、個性の乏しさにうんざりするが、ひとつ感じたのは海外ニュースが増えたこと、語学バラエティのような番組が増えたことか。朝のTVニュースでドイツの放送局ZDFやイギリスBBCのニュースの翻訳など流していたが、こうした国際ニュースが増えたのはやはり日本の国際化が進みつつある表れではないだろうか。
~携帯電話のレンタルサービスが妙に増えた
成田空港に着いてすぐ、Vodafoneのレンタル窓口に行き、自分のイギリスの携帯電話番号が日本でそのまま使えるよう、Nokiaの端末を借りた(欧州方式のGSM携帯は中の小さなメモリーカードを入れ替えるとどの端末でも自分の端末になる。最近の日本の3Gもそうかな?)。ヨーロッパの携帯番号をそのまま日本で使うというサービスは英国系であるVodafoneならではのサービスだと思われるが、それ以外にも日本の携帯電話のレンタル窓口が成田空港に驚くほど増えた。携帯電話市場の成熟をそこに見た。
ほかにも、ホテルのブロードバンド環境整備が進んだとか、沖縄料理がメニューに目立つようになったとか(機内食にさえ登場)、あちらこちらに細かい変化が感じられる。
次回は、昔と変わらないが、海外で生活してから見ると違和感を感じることを書き留めてみようと思う。
火曜は長野でのミーティングと宴席を終え、今夜は東京に泊まり。明日は甲府に向かう。 November 10 ルックスからチューリヒへ今日(というかもう昨日)は朝一番のフライトでルクセンブルグに入る予定だったが、なんと飛行機に乗り遅れるという失態を犯してしまった。朝5時起きの予定だったが、前夜10時頃まで仕事をした上に、アラーム時間設定を間違え、目覚めたときにはもう遅すぎた。何とか近隣の空港から昼のフライトを捕まえ(全乗客11名というフライトだった)、ルクセンブルグに着いたのは午後2時すぎ。わずか4時間の滞在であわただしくミーティングをいくつかこなし、夜にはスイスのチューリヒに。チューリヒでの会食とパブでの二次会を終え、今これを書いている次第。
スイスは三回目だが、チューリヒは二度目。川と湖に街のシンボルの教会や時計台が映える美しい町だ。雪景色がよく似合いそうである。ドイツ語圏ではあるがスイス訛りが強く、北ドイツ人には理解が難しいとか。今日は空港周辺は深い霧が立ち込め、気温もかなり低い。おそらく4-5度だろう。前回来たときはチーズフォンデュの本格的な専門店に行った。店内と周辺にはチーズとワインの強い香りが立ち込め、1ブロック手前から分かるほど。最初にパンが出てきて、あとは最後までひたすらチーズのみという食事に驚いたものだ。今回はイタリアン。 スイスはイタリア、フランス、ドイツの文化と言語が交じり合う(ロマンス語という希少言語も一部で使われる)多民族国家。EU圏のど真ん中にありながらEU入りをかたくなに拒否し、通貨もスイスフランと、永世中立を貫く姿勢は徹底している、独特の個性を持つ国である。 October 19 セキュリティチェック今日は本当ならドイツにいるはずだったが、昨日霧のためにヒースロー空港のダイヤが大幅に乱れ、私が乗るはずだった飛行機も欠航。出張を急遽キャンセルした。
とても意外なのだが、ロンドンの空港は搭乗前のボディチェック、手荷物チェックがヨーロッパの空港で最も緩やかな部類に入る。たとえばドイツからイギリスに飛ぶ場合だと、手荷物チェックではノートPCがあればいちいちかばんから出さねばならないし、靴の裏からベルトのバックルまでチェックされる。それが終わってからパスポートコントロールを抜け、さらにもう一度その先で手荷物チェックが入る。これが逆にイギリスから出国する場合は手荷物チェックは一回のみ、身体検査も非常にゆるやかだし、パスポートチェックも形式的。
最近は飛行機のチケットはEチケットになり、チェックインも出発前夜に自宅でオンラインですませ、空港ではカウンターに行かずにそのまま出国ゲートに直行するというパターンが定着している。これを利用すれば搭乗口まで人との接触は最小限で済む。利用者にはとても便利なのだが、本人確認の甘さに一抹の不安を感じる。
ところで、9.11後のアメリカの空港でのセキュリティチェック、警戒の厳しさの一方、日本のセキュリティチェックの甘さは対照的だったが、最近の日本はどうなのだろう。少しは改善(改悪)されたのだろうか。
今日のイギリス英語
take mickey = からかう。馬鹿にする。ずるをする。
October 10 ライ "Rye"イギリス南岸部、ドーヴァーとブライトンの中ほどにヘイスティングス(Hastings)という町がある。ここは1066年にノルマンディー公ウイリアムが当時の英国王ハロルドを打ち破り(ヘイスティングスの戦い)、ノルマン王朝を打ち立てる端緒(ノルマン・コンクエスト)になったことで有名な町である。
おだやかな秋晴れとなったこの日曜日はそのヘイスティングスの隣のライ(Rye)という小さな古い町を訪ねることにした。
小さなこの街の見所は、海岸にむけて防衛を固めるために作られたイプスタワー (Ypres Tower)と呼ばれる城塞と、築900年になるという聖メアリー教会(Church of St. Mary the Virgin)だ。この教会には16世紀に作られたというイギリスで最も古い時計台がある。街にはチューダー様式の家やカフェが並び、落ち着いた風情を漂わせている。
2時間もあればすべて見て回れる程度の大きさであるが、度重なる戦火をくぐり抜けてきた歴史は古い城塞にその名残を残すのみ。今ではおだやかな表情をたたえて街は静かだ。
September 18 上空からの眺め私は月十回程度は飛行機に乗るが、いつもできるかぎり窓際に座るようにしている。いざというとき避難しやすいという理由から、通路側にしか座らない主義の人も居るが、私は窓際派だ。理由は単純、外の風景を楽しみたいから。
街の風景を上空から眺めてその違いを感じることは楽しい。パリの街はベージュ色だし、ミラノはピンクやくすんだ黄色の外壁の家にイタリア独特のかわら屋根。ドイツは白い外壁に濃いグレーの屋根の家が並び、エジンバラでは着陸前に羊がたくさん見える。バルセロナでは大きな港を見下ろし、インディアナポリス上空からはプール付きの家がたくさん見えた。ラスベガス周辺は息を呑むほどの荒涼たる岩山。ヘルシンキ上空からは無数の湖。成田は…無数のゴルフ場。
今日のイギリス英語
Mr = ご存知ミスターの略だが、アメリカ式ではMr. と綴り、" . "が付く。イギリスの本や新聞ではこのピリオドがつかないようだ。これはMrsでも同じ。つい最近この違いに気が付いた。 September 12 アムステルダム~運河と自転車の街今日は日曜だが、仕事でアムステルダムに来ている。 ヨーロッパは個性ある街が多いが、その中でもアムステルダムはかなり個性的な部類に入ると思う。
縦横無尽に運河が張り巡らされ、網の目のような路地を多くの自転車が駆け抜ける様子は他のヨーロッパの街では見られない光景だ。ここはどこかと思うほど自転車が市民の足として普及している。
運河沿いに窓がせり出すように作られた家々。ボートが通るたびに運河の上を渡る道路が跳ねあがる。普通の道路が目の前で直角に跳ね上がっていくと10分近く足止めをくらうが、それもここならではの貴重な体験。
多くの西側社会では禁止されているマリワナ、売春、安楽死が合法で、リベラルなお国柄。街の各所にあるCoffee ショップでは葉っぱが売られており、入り口からは独特の香りが漂う。Red light district(飾り窓地区)の光景は一度見ると忘れられない強烈さだ。
オランダ料理はドイツ料理に似てあまり洗練されているとはいえないが、インドネシア料理がここでは質が高い。バタビア(インドネシア)が植民地だった関係でインドネシア系移民がとても多いのがその理由。
レンブラントやゴッホが生まれ育ち、アンネ・フランクが隠れ住んだ町。アムステルダムに来るのももう4度目になるが、長い歴史の中はぐくまれた独特の文化は不思議な魅力を放ち、飽きることがない。 September 09 バルセロナの竜巻昨夜バルセロナが嵐だったことを書いたが、私の後にパリから飛んできたフランス人の話。午後7時半に着陸予定だったが、天候不良のため上空で30分ほど着陸許可を待っていた。そのとき窓の下に見えたのはなんと二つの竜巻。海の上から滑走路に上陸するのが見えたという(バルセロナ空港は海に接している)。
結局着陸許可が下りず、エールフランス機は北上して隣の空港へ。そこからバスで3時間かかって彼がバルセロナに到着したのは深夜だった。同じころデュッセルドルフからエア・ベルリンで飛んできたドイツ人は、地中海を渡ってマヨルカ島のパルマ空港に着陸。しばらくそこで駐機してからやはり深夜にバルセロナに到着と、私より少し後に到着した人たちは非常に苦労してたどりついたのだった。お疲れ様。
さて、その翌日。一日の会議を終え、夕方私はロンドンに帰るため空港に向かったが、チェックインを終えてしばらくすると、またもや激しく雨が振り出し、今度は落雷。稲妻が見えたと同時に雷鳴が鳴り響き、ターミナルビルの中まで音が聞こえる。案の定離着陸が止まり、1時間半ほど離陸が遅れる羽目に。
一ヶ月ぶりという久しぶりの雨にもろにぶつかったバルセロナ出張だった。
今日のイギリス英語
bumpy = 乗り物が揺れること。主に車が揺れるときに使うが、飛行機にも使うようだ。 September 08 バルセロナ~ガウディの建築今日はバルセロナに来た。予想に反して、こちらは嵐に近い大雨。飛行機もずいぶんゆれてちょっと怖い思いをした。
バルセロナに来るのは5年ぶり。久々に見る街並みは、やはりイタリアやフランスのそれと近いが、この街を強烈に印象付けるのはなんといってもアントニオ・ガウディの建築だろう。いまだ建築中のサグラダ・ファミリア(聖家族)教会は異様をともいえる姿で圧倒的な存在感を持つし、カサ・バトリョ、カサ・ミラといったアパートメントの、曲線で構成されたデザインは美しくも妖しい異次元的なフォルムを持つ。これらのデザインはただ異色、奇抜というだけではなく、実は建築学的にも、高度に幾何的、物理的なバランスを保っており、煙突にしても尖塔にしても、きちんとした合理的な理由があってああいうフォルムになっているというところが天才の天才たるゆえんだ。
サグラダ・ファミリア教会は着工120年たった今もまだ半分しか完成していないとのことで、現代には珍しい100年越しで建築が続いている建造物。この現場では、彫刻家外尾氏が唯一の日本人として働いていることはよく知られている。前に来た時は、たまたま休憩時間で外に出てきたこの方と会うことができた。当時は正面入り口の天使の彫刻を監督されていたが、今はどの彫刻を彫られているのだろうか。 September 02 ベルリン今日はベルリンに来ている。 人によっては、無味乾燥な街だと言う人もいる。確かに、第二次大戦時にイギリス軍の空襲により街の多くは焼き払われ、それに続く西ドイツの高度経済成長と、東ドイツの共産化にさらされた結果、街並みはローマやパリ、ロンドンのそれと比べて近代的で味気ない建物が多いことは確かだ。とはいえ、この街が20世紀を通して経験したことは世界でも類を見ないものであり、人類の犯した過ちを象徴する名残が街のそこかしこに残っている。仕事なので名所など見る時間はまったくないが、それでもブランドショップが立ち並ぶ大通りにそびえるカイザー・ヴィルヘルム記念教会の異様な姿(これはイギリス軍の空襲で無残に崩れた姿そのままに保存されている)を見上げると、今の繁栄の裏にこの街が経てきた歴史が透けて見えるようだ。
夕食はその教会を眺めながら、イギリス人、アイルランド人、デンマーク人、オランダ人、ドイツ人と日本人の私の6人で。話題は自然と世界平和や宗教紛争といったテーマに移って行くのだった。 August 16 フィンランドからロンドンへ昨夜ヘルシンキからイギリスに帰国。初めてのフィンランドとエストニアだったが、忘れないうちにざっとおさらい。
フィンランド
エストニア
今回はフィンランドやエストニアの人たちと知り合うことができ、世界陸上も間近に観戦する機会を得て、思い出に残る旅となった。写真はロシアの棒高跳び代表エレーナ・イシンバエワの世界記録と、ヘルシンキで最も目立つ大聖堂。 August 12 タリン(エストニア)今日は早朝の高速フェリーでエストニアの首都、タリンに向かった。ヘルシンキからはバルト海を挟んで大陸側に位置する。あいにくの天気で船は結構揺れて、船酔い寸前。ちょうど昨日、タリンとヘルシンキをわずか18分で結ぶヘリコプターがタリンを離陸後まもなくバルト海上で消息を絶ち、乗客乗員14名の命が絶望視されており、フィンランドとエストニアでは大きなニュースとなっている。この悪天候で捜索が難航、フェリーの運航制限も出てダイヤに若干の遅れが出ていた。
エストニアはデンマーク、スウェーデン、ポーランド、ロシアの支配を経て、旧ソビエト連邦から90年代初頭に独立を勝ち取った少数民族の国。昨年EU加盟を果たした。ラトビア、リトアニアと一緒にバルト三国として一くくりに扱われるが、実はそれぞれ言語も民族も異なる。エストニアは文化的にはドイツの影響が強いそうだ(料理もドイツ風)。ソビエトには大戦中などに搾取され、虐げられてきた歴史があり(シベリアでの強制労働など)、ロシアに対しての敵対心は非常に強い。今回街の案内をしてくれたエストニア人ジャーナリストによればエストニア人はとにかくロシアには "pissed off"しているのだそうだ。
タリンはエストニア語で「デーン人の町」という意味で、その昔デンマークを作ったデーン人が入植したことに端を発する街だ。中世の雰囲気を色濃く残した旧市街の町並みや建築は世界遺産に登録されており、一見の価値はあり。ドイツ南部のローテンブルグやニュルンベルグなどに少し似た雰囲気という印象を受けたが、ロシア正教会の建物があったりしてここが旧ソビエトであったことを思わせる。
観光写真などで有名な展望台に上ると、きれいな街が一望できるのだが、そのすぐ向こうに近代的な建物やソビエト時代の無味乾燥な建造物が並び、興趣をそぐのが残念。
午後のフェリーで夕方ヘルシンキに帰国。
August 11 ヘルシンキ(フィンランド)今日はヘルシンキにいる。初めてのフィンランドだ。ロンドンから直行便で北東に2時間半。時差が2時間ある。以前オスロ空港の床には白木が使われていて北欧らしさを出していると書いたが、ヘルシンキの空港もオスロほどではないが床が板張りで、シンプルなデザインはいかにも北欧風。初めてみる市街はやはり、ストックホルムやオスロといった他の北欧の都市とよく似ていた。どの街も港町という点で共通しているし、建築様式も北欧の都市はどこもシンプルで他の欧州に比べ近代化されている。
とはいうものの、フィンランドは他の北欧三国(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク)とはかなり毛色が違う。まず、フィンランド人はもともとアジア系のフン族を祖先としており、金髪ではあるが、顔のパーツは丸みを帯びたやわらかい感じ。氏名を姓・名の順番で書くところは、同じくアジア系のマジャール人の国ハンガリーと同じで、他の欧州とは異なる (この情報は、本日フィンランド人と話をしていて間違いと判明。通常の欧米式だそうです。すみません)。一番象徴的なのは言語で、たとえば、「ありがとう」は北欧三国ではどこもTak (タック)と言う(明らかに英語のThank, ドイツ語のDankといった言葉と共通性が見出せる)のに、フィンランドだけはKiitos (キートス)と言う。 私のデンマーク人の同僚によれば、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの言葉はお互いなんとか意思疎通ができるほど似ているが、フィンランド語だけはまるで意味不明とのこと。
ヘルシンキの気温は日中で15度。天気は昨日からずと荒れ模様で、今日もかなり強い風と雨。夜は10度以下まで下がったのではないだろうか。かなり肌寒かった。
写真はロンドンからヘルシンキまでのフライトからの景色が美しかったのでパチリ。この時はヘルシンキが嵐などとは夢にも思わず。 |
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